宇摩志麻遅が実在する個人かどうかは、判断しかねる。
天香山が久比岐・能登へ侵入した九州軍を表す象徴であるように、宇摩志麻遅も出雲へ侵攻した大和軍の象徴かもしれない。
この系図で実在感があるのは彦湯支以降だろう。
出雲の女性を妻にして子を儲けた彦湯支は、天稚彦のモデルかもしれない。
この時代には、婚姻を戦後処理に活用したという。
ならば、大彦の子である武渟川別は名前にヌナカワを含むのだから、大彦は奴奈川姫の縁者にあたる久比岐の女性を妻にしたのかもしれない。
武渟川別の母について、記紀は正確には記さない。
しかし、おそらくミスだろうと思われる記述が崇神紀[10]にある。
於是 天皇姑倭迹々日百襲姬命 聰明叡智 能識未然 乃知其歌怪 言于天皇 是武埴安彥 將謀反 之表者也
ここにおいて 天皇の姑の倭迹々日百襲姫命 聡明叡智 未然を識るに能う 乃ち其の歌の怪を知る 天皇に言う 是は武埴安彥 謀反の将 之に表す者なり
姑は配偶者の母のこと。崇神[10]の皇后である御間城姫は大彦の娘だ。
これを真に受けると、倭迹迹日百襲姫が久比岐の女性である可能性が生じる。
だが欠史八代紀によれば、倭迹迹日百襲姫は孝霊[7]の娘で、吉備津彦の同母姉だ。
崇神[10]からみて、祖父(孝元[8])の異母姉/妹にあたる。
また、大彦は孝元[8]の第一子で、崇神[10]からみて伯父にあたる。
したがって姑という記述はミスだろうと思われている。
なぜミスが生じたのか。
欠史八代紀によれば、孝元[8]は皇后である欝色謎との間に、大彦・開化[9]・倭迹々姫の三子を儲けた。
そして、倭迹迹日百襲姫と倭迹々姫を混同する記述が、崇神紀[10]にある。
是後 倭迹々日百襲姬命 爲大物主神之妻 然 其神常晝不見而夜來矣 倭迹々姬命語夫曰 君常晝不見者 分明不得視其尊顏 願暫留之
是後 倭迹々日百襲姫命 大物主神の妻と為る 然 其神は常に昼は見えずして夜に来る 倭迹々姫命は夫に語り曰く 君が常に昼に見えずは 分明(ふんめい、はっきり)に其の尊顏を視るを得ず 暫く留まるを願う
このあとの展開は、大物主が驚くなと念を押して翌朝、蛇の姿を姫の前に現す。しかし姫が驚いたので、大物主は人のかたちに姿を変えて恥をかかされたと言い、飛び去る。悔いた姫はへたりこみ、箸で陰を突いて亡くなる。
はじめから人の姿で会えばいいのにと思うが、それはさておき。
大物主は大国主と同一視されることがある。
このエピソードは、うまくいかなかった奴奈川姫と八千矛の婚姻をもとに創作したと考えられなくもない。姫が悔いたのは驚いたことか、それとも大物主を夫にしたことか。出雲は前者と言いたいだろうが、久比岐は後者をとるだろう。
おそらく倭迹迹日百襲姫のモデルは奴奈川姫だろう。
そして奴奈川姫の縁者で、大彦の妻になった久比岐の女性が倭迹々姫だろう。
崇神紀は、倭迹々姫に倭迹迹日百襲姫こと奴奈川姫の威信をダブらせ、混同して書いた。崇神紀の執筆者は彼女たちを皇統に組み入れるつもりはなかったので、姑と書いたのだろう。
その彼女たちを、欠史八代紀では皇統の系譜に組み入れた。
たぶん、こういうことなので、倭迹迹日百襲姫は卑弥呼ではないと思う。