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葛城氏と和珥氏は女系氏族である。
⇒youtube:解日本紀巻第三、古墳時代の女系氏族――葛城氏と和珥氏
そして仁徳[16]の母系氏族の尾張氏は、古事記(葦原色許男・神語歌)の素戔嗚であり、尾張氏の奇稲田姫は、天孫本紀の系譜に記される葛城氏の女性たちである。
⇒当ブログ記事:八上比売と大穴牟遅(因幡の白兎)、素戔嗚
神武東征に、土蜘蛛を退治して高尾張邑の号を葛城に改めたとある。高尾張村という村名は、この事件以前には尾張氏(素戔嗚)が葛城氏(奇稲田姫)と深い関係にあったことを示すのだろう。
己未年春二月壬辰朔辛亥 命諸将練士卒 是時 層富縣波哆丘岬 有新城戸畔者 (丘岬 此云塢介佐棄) 又 和珥坂下 有居勢祝者 (坂下 此云瑳伽梅苔) 臍見長柄丘岬 有猪祝者 此三処土蜘蛛 並恃其勇力 不肯来庭 天皇 乃分遺偏師 皆誅之 又 高尾張邑 有土蜘蛛 其為人也 身短而手足長 与侏儒相類 皇軍結葛網而掩襲殺之 因改号其邑曰葛城
高尾張村が葛城氏なら、
層富縣波哆丘の新城戸畔は? 不明。
和珥坂下の居勢祝は和珥氏か。
臍見長柄丘の猪祝は穂積氏か。
葛城氏、和珥氏、穂積氏は天照国照彦天火明櫛玉饒速日(天孫本紀)の後裔。
土蜘蛛にされたことに因んで、天孫本紀は天火明と饒速日を一柱にまとめたか。
もとは「曾布(そふ)」あるいは「層富(そほ)」という地名であったが、これに「添(そふ)」の字が当てられ、2つに分けて添上郡・添下郡となった。9代開化天皇の春日率川宮が奈良市率川にあったと伝える。郡名は佐保川に由来する。奈良山丘陵南斜面の東側が「佐保」、西側が「佐紀」であり、古代のヤマト(磯城郡・十市郡を中心とする一帯)の北に位置する。
wikipwdia 添上郡>歴史>古代 2026/07/26
和珥坂(抜粋)
和珥所在の坂なり、謂ゆる武鐰坂に同じき歟。日本紀神武天皇中州平定の條に「層富縣、和珥坂下、有居勢祝」とあり、祝盖凶猛の譬ふ
⇒国立国会図書館:大日本地名辞書 第一卷>大和>添上郡
長柄(抜粋)
神武紀に臍見長柄丘と云地あり。臍見即穂積なれば長柄此地。
穂積(抜粋)
神武紀臍見長柄丘とあり、今新泉長柄相接す。穂積氏は物部氏同族にして盛胤なり、穂積臣遠祖大水口宿祢大倭大□魂神の教を被り其社を居邑に興せるより之を大和郷と為す。
⇒国立国会図書館:大日本地名辞書 第一卷>大和>山辺郡
海幸山幸は太平洋側の勢力(集団)を神格化・擬人化したもの
皇紀には皇后として記録。
【海幸:隼人等の祖】
?応神妃 日向泉長姫?
履中皇后 草香幡梭皇女(日本書紀のみ)
安康皇后 中磯皇女(中蒂姫)
【山幸:皇祖】
仁徳妃 日向髪長媛
雄略皇后 草香幡梭姫皇女
【豊玉姫】
和珥童女君
海幸vs.山幸(安康vs.雄略)の直接対決は、史実でない。
のちに海幸勢と山幸勢は近畿から撤退するが、山幸勢は和珥氏との縁が近畿に残る。
記紀神話は近畿中心の権力争いを描いており、近畿で力を持つことを『勝利』とする。
おそらくは、天皇の母が葛城氏から和珥氏へ変化したことに、日向勢の武力が関与している。
この日向勢の武力は、日向から東征した神武でもある。
本日、7月17日金曜の夜9時にyoutubeにて動画を2本公開予定です。