忍者ブログ
素人が高志の昔を探ってみる ~神代から古墳時代まで~

倭大國魂は翡翠を象徴する久比岐の神

とても残念なことに倭大國魂を祀る大和神社(奈良県)は、『大倭神社註進状』なる一書を拠り所として、倭大國魂は大国主であると主張している。
しかし倭大國魂の創祀に関わる重要人物は久比岐・能登に関わっている。

大和神社 大和神社由緒

倭大國魂は崇神[10]紀垂仁[11]紀に登場する。
崇神紀(日本書紀)の倭大國魂が登場する箇所を以下に要約する。

崇神5年に致死率の高い疫病が流行、翌6年にも流行は続いた。民は離反して国は治まらず、崇神は朝に興(おこ)り夕に惕(おそ)れて神祇に請罪した。
先是 天照大神 倭大國魂 二神並祭於天皇大殿之内 然畏其神勢 共住不安 故 以天照大神 託豐鍬入姬命 祭於倭笠縫邑 仍立磯堅城神籬 神籬 此云比莽呂岐 亦以日本大國魂神 託渟名城入姬命令祭 然 渟名城入姬 髮落體痩而不能祭
これより先、天照と倭大國魂の二神は、崇神の暮らす大殿に祀られていた。崇神は二神の勢いを畏れた。ゆえに天照を豊鍬入姫に託し、笠縫邑に神籬を立てて祀った。倭大國魂は渟名城入姫に託したが、痩せて髪が抜け、祀れなかった。
崇神7年春2月。崇神は詔して、神淺茅原にて占ったところ、倭迹迹日百襲姫に大物主が憑き、我を祀れば国は平らぐと告げた。
しかし神語に従い祭祀しても効果がなかった。崇神が祈って教えを乞うと、その夜の夢に大物主が現れ、大田田根子を祭祀者にすれば平らぐと教えた。
秋8月。倭迹速神淺茅原目妙姫と穂積臣遠祖大水口宿祢と伊勢麻績君の三人が同じ夢を奏上した。
三人共同夢而奏言 昨夜夢之 有一貴人誨曰 以大田々根子命爲祭大物主大神之主 亦以市磯長尾市爲祭倭大國魂神主 必天下太平矣 天皇 得夢辭 益歡於心
夢にて一貴人が、大田田根子に大物主を、市磯長尾市に倭大國魂を祀らせれば天下は平らぐと告げたという。
11月。大田田根子に大物主を、市磯長尾市に倭大國魂を祀らせた。別口で八十萬群神も祀り、天社国社及び神地神戸を定めると、疫病は終息した。
(要約ここまで)

渟名城入姫は崇神の妃である尾張大海媛が生んだ皇女だ。
尾張氏は綿積豊玉彦を始祖とする系図を伝えているが、記紀は天火明の後裔と記す。
そして国譲りの段の一書第六に、天火明の子を天香山(弥彦神社祭神)と記す。
弥彦神社がある高志深江は、久比岐を越えた北に位置する。

尾張大海媛が生んだ子を、
日本書紀は三子と記す。八坂入彦・淳名城入姫・十市瓊入姫。
古事記は四子と記す。大入杵・八坂之入日子・沼名木之入日賣・十市之入日賣。

古事記にあって日本書紀にない大入杵は、先代旧事本紀の国造本紀では能等国造の祖父と記される。
能等國造
 志賀髙穴穂朝(成務)御世 活目帝皇子大入来命 孫彦狭島命 定賜國造
ただし先代旧事本紀の天皇本紀は、
尾張大海媛が生んだ子を三子と記す。八坂入彦・渟中城入姫・十市瓊入姫。
活目帝は垂仁[11](諡号:活目入彦五十狭茅)のことだが、垂仁の子にも大入杵の名は見当たらない。

能登比咩神社は、渟名城入姫が能登で暮らしたと伝える。
「人皇十代崇神天皇の皇女沼名木入比賣命は皇兄大入杵命に隨ひて、当国に下向し、此郷に駐り玉ひ、産土神能登比咩神の遺業を興し郷里の婦女に機織る業を教へ玉ふ」

石川県神社庁 能登比咩神社


市磯長尾市は、倭氏系図によれば椎根津彦の後裔だ。

(Wikipedia 「倭国造」より抜粋・転写)

市磯長尾市の兄弟の御戈は、先代旧事本紀の国造本紀でも久比岐国造と記される。
久比岐國造
 瑞籬朝(崇神)御世 大和県同祖御戈命 定賜國造

このように、倭大國魂の創祀に関わる人物は久比岐・能登に関係する伝承がある。
渟名城入姫が実際に能登で暮らしたかは疑わしいと思うが、この伝承が語られた背景には、倭大國魂は久比岐・能登の神であるという認識が、周知の事実として存在していたはずだ。


【追記 2020/10/10】

糸魚川の天津神社は景行[12]の御代の創建と伝わる古社で、瓊瓊杵・太玉・天児屋を祭神とする。

天津神社・奴奈川神社 神社のご案内
天津神社の祭神は、中央に天津彦々火瓊々杵尊 (あまつひこひこほににぎのみこと)、左が天児屋根命 (あめのこやねのみこと)、右が太玉命 (ふとだまのみこと) の三柱で伊勢神宮外宮相殿の祭神と同じである。
この三柱の組み合わせは、国譲りの段の一書第二に見られる。
大国主が隠れ去り、大物主と事代主が帰順したあとの天孫降臨の部分だ。
高皇産靈尊 因勅曰 吾 則起樹天津神籬及天津磐境 當爲吾孫奉齋矣 汝 天兒屋命太玉命 宜持天津神籬降於葦原中國 亦爲吾孫奉齋焉 乃使二神陪從天忍穗耳尊以降之 是時 天照大神 手持寶鏡 授天忍穗耳尊而祝之曰 吾兒 視此寶鏡 當猶視吾 可與同床共殿 以爲齋鏡 復勅天兒屋命太玉命 惟爾二神 亦同侍殿内 善爲防護 ――略―― 故 時居於虛天而生兒 號天津彥火瓊瓊杵尊 因欲以此皇孫代親而降 故 以天兒屋命太玉命及諸部神等 悉皆相授 且 服御之物一依前授 然後 天忍穗耳尊 復還於天
高皇産霊尊 因て勅し曰く 吾 則ち天津神籬(ひもろき、神の宿るもの)及び天津磐境(いわさか、神域や祭壇)を起こし樹を植え 当に吾が孫の奉斎と為す 汝 天兒屋命太玉命 天津神籬を持ち葦原中國に降るが宜しい 亦た吾が孫の奉斎と為す 乃ち二神を天忍穂耳尊に陪従(べいじゅう、貴人の供)させ以て之に降ら使む 是時 天照大神 手に宝鏡を持ち 天忍穂耳尊に授けて祝い之を曰く 吾が兒 此の宝鏡を視る 当に猶も吾を視る 与(とも)に同床共殿すべし 以て斎鏡と為す 復た天兒屋命と太玉命に勅す 惟(これ)爾(なんじ)二神 亦た同じく殿内に侍る 善き防護と為す ――略―― 故 虚天に居る時に生まれし兒 號は天津彥火瓊瓊杵尊 因て此の皇孫を以て親に代わりて降るを欲する 故 以て天兒屋命と太玉命及び諸部神ら 悉く皆を相い授ける 且つ 服御之物一(ミソヅモヒトツ)前(さき)に依り授ける 然後 天忍穂耳尊 天に復還する

崇神[10]は天照と倭大國魂を並べて同床共殿していた。
久比岐の地には、同床共殿するように天照から指示された三柱が祀られている。
これは偶然ではないだろう。
* * *
PR