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素人が高志の昔を探ってみる ~神代から古墳時代まで~

御穂須須美は能登半島の先端の神奈備

出雲国風土記は、奴奈川姫と八千矛のあいだに御穂須須美が生まれたと記すが、久比岐の伝承には無い。おそらく実在せず、ふたりに子は生まれなかった。

出雲の美保関では美保神社の末社である地主社に御穂須須美を祀っているが、元々は国引き神話に因んで祀り始めたのかもしれない。

島根県 『出雲国風土記』の「国引き神話」

なにしろ出雲国風土記は奴奈川姫と八千矛の時代から四・五百年後の編纂だ。
年寄りにはつい最近に思える二千年ミレニアムイヤーの四百年前が関ヶ原合戦であるからして、多少の不確かさは致し方ないと思う。

御穂須須美は、能登半島の先端の神奈備と思われる。

石川県神社庁 須須神社
石川県神社庁 須須神社奥宮

神奈備の神に人格が付与されるのはよくあることで、天香山も元々は弥彦山の神奈備だという。想像するに、これらは日本海を行き来する九州の海人族が航海の際に目印にした地形であり、彼らがこの地形に神を見出したのが起源ではないだろうか。

御穂須須美の人格に、出雲は奴奈川姫と八千矛の子という設定を付与した。
だがこれは出雲ローカルに限った話。
能登の御穂須須美を久比岐と出雲の血を引く子に設定した背景には、出雲が久比岐・能登を、わずかな期間だけだが、勢力下に置いたことを強調したい思いがあるのだろう。

これまで述べてきた通り、古代の久比岐・能登と出雲のあいだには蟠りがある。
久比岐・能登に、出雲独自のプロパガンダ設定を持ち込むのは相応しくない。

須須神社に祀られる御穂須須美は、能登半島の先端の土地神と考えるべきだろう。

【2021/2/17 追記】

2021/2/17にあげた記事『道臣が忍坂で討った土雲八十建=八千矛』にて自説を変更した。
神武東征が、神代の誓約から国譲りまでと同様に、倭国大乱を表すと解釈して、「国見岳の八十梟帥=神逐の素戔嗚」「忍坂の土雲八十建=八千矛」の自説を導き出した結果、「八千矛は越前の勢力」であると推測した。
2021/2/17現在の当ブログは、久比岐は一時たりとも出雲の勢力下には入ってないと考えている。

修正前:勢力下に置いたことを強調
修正後:勢力下に置いたことを偽装

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