[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
なんとなく地図を眺めて、科野の戸隠神社に九頭龍社を見つけ、思いだした。
子どものころ行ったことがある。
そして同行の大人から、ここに祀られている九頭龍大神は八千矛に殺された奴奈川姫の夫ではないか、という私説を聞いたと思う。
神武東征までを上手くまとめたいのだが難しい。
それでつい脳みそが思索に逃げがちで一向に進まないのだが、逃げた先でひょっこり糸口っぽいものが見えたのでメモ。
『自説の骨子』を書き直したわけだけども。
「淡路」と書くべきところを「出雲」と書いていたミスを今しがた見つけて、超絶びびった。よりによってココを間違えるかという大ポカ。即行修正した。
椎根津彦の後裔が倭氏を名乗った。
筑前志賀島から出土した金印の印文「漢委奴国王」の委は、倭とする説が主流だ。
新潟から出土した遺物には、山陰から直接影響を受けた様子がない。
久比岐と出雲の関わりはごく浅いものだった。
この見解を発端に、日本書紀が描く倭国大乱を読み解いてきた。