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古事記は、国見岳の八十梟帥を記さない。高倉山の物見も、女坂男坂墨坂も、丹生川上の祭事も記さない。代わりに忍坂で道臣が討った敵の名を「土雲の八十建(※)」と記す。
神代の誓約から国譲りまでは倭国大乱を表す。
同様に神武東征も倭国大乱を表す。という前提から、どの事件がどこに記されているか検討したい。 まず神逐の舞台は越前の小羽山ではないかと推測して、地図を見てみると。
気象庁の天気予報はいつから吹雪のアイコンを使っているのだろう?
今日はじめて見た。
八岐大蛇の一書第六(※)に基づき、三輪山(御諸山)の神は大物主とされている。大物主は出雲の海に忽然と現れ、汝の幸魂奇魂であると大国主に名乗った神だ。記紀神話の神々は自然物を象徴することが多いが、大物主にはそのような性格付けは為されていない。
神代の誓約から国譲りまでは倭国大乱を記したものであると、当ブログは推測する。
そして神武東征も、倭国大乱の要素を重ねているのではないかと思う。