伊勢内宮についての仮説
当ブログでは『仮説』という語句を「妄想のなかで貫かれる理屈」と定義して、今後は、鵜呑みにしてはならない記事への注意喚起として表題に使用する。
たとえば、この記事のような類いである。
何年前か覚えてないが、ネットのどこかで「伊勢神宮の内宮に死体が埋まっている」というオカルト話を読んだ。垂仁[11]紀にある殉死者のご遺体だと云う。
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当ブログでは『仮説』という語句を「妄想のなかで貫かれる理屈」と定義して、今後は、鵜呑みにしてはならない記事への注意喚起として表題に使用する。
たとえば、この記事のような類いである。
何年前か覚えてないが、ネットのどこかで「伊勢神宮の内宮に死体が埋まっている」というオカルト話を読んだ。垂仁[11]紀にある殉死者のご遺体だと云う。
千葉県市原市にある神門5・4・3号墳は、3世紀半ば築造の前方後円墳と目されている。市原市の辺りは上海上国造か菊麻国造と思われ、どちらも成務[13]朝の任命で天穂日後裔だ。
むかし、伊勢の内宮と外宮は争っていた。
内宮は中臣氏。
外宮は度会氏。