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2020年12月現在、出雲瑪瑙をWeb検索すると多数の販売店がヒットする。そのほとんどが、朝廷へ献上していたことを出雲ブランドの裏付けとしてポジティブに受け止めておられるようだ。なので、少々言いにくいのだが。
越前から素戔嗚を追いやった神逐により、中部日本海の青海氏、琵琶湖・淀川・茅渟海の息長氏、瀬戸内・玄界灘の吉備氏が繋ぐ交易路が完成した。
九州勢(大彦の氏族や尾張氏)の近畿入植はあったが神武東征はなかったと当ブログは考えている。皇統とされる橿原勢及び饒速日勢は、弥生後期の2世紀以前には大阪平野に根差していた在地勢力とみる。
そこへ九州勢が瀬戸内航路を開き、淡路島に住みついた。
天火明は、誓約で誕生した五男神の長男である天忍穂耳の孫、または子だ。弥彦神社祭神である天香山の父で、日本書紀は尾張氏の遠祖と記す。
しかし尾張氏が伝える海神豊玉彦を始祖とする系図に天火明、天香山の名は無い。
瀬戸内の潮流について考えてみると、厄介なポイントは鳴門海峡、明石海峡、来島海峡、大畠瀬戸の四つの海峡だろう。明石海峡は、鳴門海峡よりマシということで必ず通らねばなるまい。しかし鳴門、来島、大畠は通らずとも良さそうだ。