狭穂彦(阿彦峅)の謀反は濡れ衣
喚起泉達録は江戸時代(享保、吉宗[8])に富山藩士の野崎伝助が著した越中郷土史。伝助の孫の野崎雅明は越中通史の肯構泉達録を著した(文化、家斉[11])。
上記二書は、越中の阿彦が大若子に退治される話を収録している。
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喚起泉達録は江戸時代(享保、吉宗[8])に富山藩士の野崎伝助が著した越中郷土史。伝助の孫の野崎雅明は越中通史の肯構泉達録を著した(文化、家斉[11])。
上記二書は、越中の阿彦が大若子に退治される話を収録している。
神武東征までを上手くまとめたいのだが難しい。
それでつい脳みそが思索に逃げがちで一向に進まないのだが、逃げた先でひょっこり糸口っぽいものが見えたのでメモ。
『自説の骨子』を書き直したわけだけども。
「淡路」と書くべきところを「出雲」と書いていたミスを今しがた見つけて、超絶びびった。よりによってココを間違えるかという大ポカ。即行修正した。