前回の要点:
神武は高皇産霊。国見岳八十梟帥は大国主。
越前の丹生山地と国見岳は素戔嗚ゆかりの地。
素戔嗚の狼藉が原因で神退った稚日女は、高志と瀬戸内をむすぶ経路(琵琶湖・淀川)を活動域にしていた息長氏に縁がある。
天岩戸で諸神が講じた策と、丹生川上で神武が行った祭祀は、天香山と真坂樹が共通する。天香山は弥彦神社祭神の名でもある。
埴安
神武[1]紀の末尾、東征を締めくくり即位するエピソードの直前に「或曰(或るいは曰く)」として、天香山の埴土を取った場所を「埴安」と云うとある。
崇神[10]紀は「武埴安彦」の謀反を記す。
連座した妻の吾田媛が「倭香山の土」を取って「是倭國之物實(是は倭国の物実)」と祈り、討伐に向かった大彦は「爰以忌瓮 鎭坐於和珥武鐰坂上(爰(ここ)に忌瓮(いわいべ)を以て 和珥武鐰坂上に鎮坐する)」とある。
武埴安彦は「埴安」に通じ、倭香山は「天香山」に通じる。
討伐にあたり鎮座した大彦は、高皇産霊の顕斎になった神武に通じる。
倭迹迹日百襲姫
さらに崇神[10]紀は、武埴安彦と吾田媛の謀反を看破した倭迹迹日百襲姫の死について記す。
夜しか会えない夫の大物主に、顔を見たいから朝まで居てほしいと姫が頼むと大物主は、姿を見て驚かないならと、条件つきで応じる。しかし朝、衣紐ほども長い蛇を見た姫が驚いたので、大物主は恥をかかされたと言って御諸山へ飛び去る。姫は仰ぎ見て、しゃがみこんだ拍子に陰部を箸で突いて亡くなる。
神代上第七段(逐降と天岩戸)の一書第一では、素戔嗚が斎服殿に投げ入れた逆剥ぎの斑駒に驚いた稚日女が、所持する梭で体を傷つけ神退る。
古事記上巻では、素戔嗚が忌服屋に投げ入れた逆剥ぎの斑駒に驚いた天服織女が、梭で陰部を突いて亡くなる。
稚日女と倭迹迹日百襲姫の死因は、陰部を損傷するという点が共通する。
崇神[10]紀は、倭迹迹日百襲姫を箸墓に葬ったと記す。
その墓を築造するとき人足がうたった歌は「コシ」を繰り返す。これは高志に掛けてあり、倭迹迹日百襲姫が高志の女性であると暗示するものと考える。
大物主
大物主は、神代上第八段(八岐大蛇)一書第六を根拠に、大国主と同一とされる。
その大国主は、
本伝では、素戔嗚と奇稲田姫の子(大己貴)
一書第一では、素戔嗚と奇稲田姫の子の五世孫(大国主)
一書第二では、素戔嗚と奇稲田姫の子の六世孫(大己貴)
である。
日本書紀を読むコツのひとつに『神は地方勢力を表す』がある。
よって大物主とは、素戔嗚を祖として大己貴を後裔とする氏族が治める勢力と解釈する。
すなわち、素戔嗚も大物主と考える。
奴奈川姫
神代上第八段(八岐大蛇)一書第六に列記された大国主の別名のなかに「八千戈」もある。八千矛が奴奈川姫に妻問いしたエピソードが古事記にあり、これは「神語歌」と呼ばれる。
久比岐の伝承によれば、奴奈川姫は大国主から逃げて自死した。
糸魚川市 奴奈川姫の伝説
妻問いには男女の性交がつきものだ。
陰部が傷つくという表現は、女性が望まない婚姻を暗示すると考える。
すなわち、
「稚日女=倭迹迹日百襲姫=奴奈川姫」
が同一人物であり、彼女の不幸な婚姻の相手である
「素戔嗚=大物主=八千矛」
が同一人物である。
天岩戸と日食
2世紀初めの築造と目される小羽山30号墓が、素戔嗚が越前で隆盛した証しなら、逐降は2世紀半ばと考えられる。
そして天岩戸隠れが日食の記録なら、158年の日入帯食が該当する。
国立天文台NAOJ 国立天文台報 第13巻 第3・4号(2010年10月) 『天の磐戸』日食候補について[PDF]
恥ずかしながらΔT値については全く理解が及ばないので鵜呑みにさせていただく。
上記PDF掲載の「図4:158年7月13日の日食の食帯図」では、安芸埃宮と阿波国の天磐戸神社が皆既帯にある。また、天磐戸神社の地形は物語に通じると云う。
文化遺産オンライン 天磐戸神社(天の岩戸神社)境内地の一部
記紀編纂時に、阿波国の伝承を元に天岩戸神話が創作された可能性があるだろう。