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国譲り本伝(※)で事代主は海に避ける。一般にこれを自死と解釈するようで、当ブログもそれに順じていたのだが、この既成概念からも脱しようと思う。
高皇産霊は淡路勢であり、椎根津彦である久比岐勢と手を組んで兄磯城たち饒速日勢を討伐した。淡路勢は北九州、久比岐勢は科野と深く関係している。北九州は志賀島阿曇氏であり、科野安曇氏と同族ということになっている。
阿曇氏は綿津見三神を祀る海人族だ。
ならば海に隠れるとは、阿曇氏系の海人族に紛れることではないか。つまり、事代主が淡路勢・久比岐勢の側についたことを示唆しているのではなかろうか。
事代主は越前・加賀・越中の西側に根差す勢力のことだろう。
葦原中国を譲った大国主は葦原醜男、つまり饒速日勢と考えられ、これは伊勢津彦ではなかろうか。
【2021/6/7 修正】
国譲り本伝の大己貴は杵築大己貴。
一書第二によれば、大己貴が国譲りを迫られたのは葦原中国の平定後。つまり饒速日勢は既に敗北していた。そしておそらく事代主と並んで恭順する大物主=丹波大己貴だろうから、残るは杵築大己貴のみ。