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唐古鍵遺跡は弥生前期~古墳前期。
古墳時代は3世紀後~6世紀。おおまかに前期は4世紀、中期は5世紀、後期は6世紀。
国指定文化財等データベース(文化庁) 奈良県唐古・鍵遺跡出土品
謹製『初期天皇の活動年代表』によれば、
4世紀後期は孝元[8]と仲哀/神功[14]、仁徳[14]の世代。
孝元[8]:大日本根子彦国牽:山陰勢
日本書紀の神代上第八段(八岐大蛇)本伝が記す大己貴(素戔嗚の子)に推定。
素戔嗚=武内宿祢
八岐大蛇=丹波勢(孝霊[7]、忍熊王、麛坂王、菟道稚郎子、大山守王、両面宿儺など。ただし忍熊王+麛坂王=両面宿儺の可能性が濃厚)
唐古鍵遺跡の終焉と、第八段本伝の山陰勢による八岐大蛇退治は同じ時期。
唐古鍵遺跡は、大型建物から見て三輪山の山頂から冬至の太陽が昇る。
三輪山(三諸山)は大物主(丹波勢)を祀る。
よって唐古鍵遺跡は丹波勢の都と思われる。
4世紀、唐古鍵と纏向が奈良盆地の支配権をめぐり争ったのかもしれない。