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天岩戸日食は158年だろうと、当ブログは考えている(過去記事:天岩戸日食と卑弥呼は無関係)。
国立天文台NAOJ 国立天文台報 第13巻 第3・4号(2010年10月) 『天の磐戸』日食候補について [PDF]
恥ずかしながらΔT値については全く理解が及ばないので鵜呑みにさせていただく。 6/16(90)ページの図4:158年7月13日の日食の食帯図.によると、瀬戸内は食分0.98にほぼ収まり、安芸埃宮は皆既になる。
6/16(90)ページの図4に地名を書き加えた
また、徳島県の天磐戸神社(天の岩戸神社)も皆既になるようだ。
ただし、158年日食は日入帯食だった。天磐戸神社は山の東斜面にあるので、此処では皆既日食を観測できなかったと思う。
文化遺産オンライン 天磐戸神社(天の岩戸神社) 境内地の一部
国立天文台 こよみ用語解説 帯食(たいしょく)
日食は必ずしも始めから終わりまで見ることができるとは限りません。日の出前に日食が始まり太陽が欠けたまま昇る場合を日出帯食(にちしゅつたいしょく)、日食の途中で太陽が欠けたまま沈んでしまう場合を日入帯食(にちにゅうたいしょく)と呼びます。
では天磐戸神社の方角に日入帯食を確認できたかといえば……
158年の日入帯食は7月13日だ。夏至はだいたい6月21~23日なので、夏至の20~22日後に観測されたと考えられる。夏至には、真西からおおよそ30度北に太陽が沈む。
ざっくり計算
30/(365/4)*21 = 6.9041
7月13日の日の入りは夏至からだいたい7度ほど南へずれる。つまり真西から23度ほど北の方角で158年日食は観測できたことになる。
158/7/13の日入の方角
山並みが続くため、山頂などの高所から以外ではよく見えなかっただろう。古代には付近の山頂になんらかの施設があって、そこで観測したのかもしれない。それが伝承されて後世、天岩戸隠れ神話を創作する際、舞台のモデルとして天磐戸神社の岩場が使用されたのかもしれない。
ちなみに、淡路島の舟木遺跡から日入の方角の先に出雲がある。
よくできた偶然だと思う。