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天岩戸と神逐の段(※)の本伝と一書第三は、天岩戸から天照を引き出したのちに『諸神』が素戔嗚を追い払う。一書第二は天岩戸から天照を引き出したときには既に『諸神』が素戔嗚を追い払っていた。
古事記は、天岩戸から天照を引き出したのち『八百万の神』が須佐之男を追い払う。
神逐を行ったのは天照ではなく、諸神だ。天照が指す北九州は神逐に関与しなかったと解釈できる。神逐を行った諸神とは、158年の日食で0.98以上の食分だったと想定される瀬戸内の勢力と、高志に存在した椎根津彦の勢力のことだろう。
とすると、素戔嗚は小羽山古墳群の人々ということになる。
だが小羽山と宗像三女神は容易に結びつかないと思う。小羽山の四隅突出墳には貼石が無いという独自性があり、出土土器は地元産が多いことから、出雲の墓制に倣って在地勢力が造営したと見られている。
また、四隅突出墳に情報が偏りがちだが、小羽山には前方後円墳や前方後方墳もあり、古墳時代にも墳墓が築造された。神逐で追い払われた人々と、残って淡路勢に従った人々がいたようだ。
明治大学学術成果リポジトリ 北陸における古墳出現前後の墳墓の変遷-東西墳墓の土器配置系譜整理の一環として- :5/30(110)ページ
(2)小羽山墳墓群 福井県丹生郡清水町小羽 (古川1995・97)
小羽山丘陵上に展開する総数59基からなる墳墓群。このうち弥生時代の墳墓とされたものは四隅突出形・方形墳丘墓からなる35基。他に前方後円2・帆立貝1・前方後方1・円9・方3の計15基の古墳と,未調査のため時期不詳な方形墓9基がある。
追い払われたのは支配層のみか?
彼らは他所から小羽山に来て、平和的に婚姻か、敵対的に侵略か、何らかの手段で支配層に収まっていたのではなかろうか。
彼らのルーツを考えるとき、四隅突出墳の繋がりから真っ先に出雲が思い浮かぶが。
しかし出雲贔屓の古事記が、神逐の素戔嗚については悪しざまにこき下ろしている。また、出雲国風土記は素戔嗚に言及しない。古代出雲の人々の認識では、出雲は元より大国主の国であり、素戔嗚はあくまで余所者なのではなかろうか。
素戔嗚は、天照との誓約で宗像三女神を得た。
誓約の段(※)の一書第一では市杵嶋姫とは記さず瀛津嶋(ヲキツシマ)姫と呼び、一書第二で市杵嶋姫が坐す所を遠瀛(ヲキツミヤ)と呼び、一書第三で瀛津嶋姫の別名が市杵嶋姫と記す。
市杵嶋姫の坐す辺津宮が沖なら、対馬側から見ているのだろう。
素戔嗚は対馬の勢力ではなかろうか。
日本書紀とは違い古事記は、多紀理毘売の別名を奧津島比売と記す。
古事記が出雲寄りの視点で書かれているからだろう。出雲から見て、多紀理毘売を祀る沖津宮(沖ノ島)は沖になる。これはおそらく素戔嗚の本質を表すものではなく、ただの出雲の主観にすぎないだろう。
【2021/1/27 追記】
打消し線部分は2021/1/27の記事にて自論を変更した。
変更後:素戔嗚は任那・狗邪韓国の勢力ではなかろうか。