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素人が高志の昔を探ってみる ~神代から古墳時代まで~

誉田天皇(応神)と垂仁皇子・誉津別

釈日本紀の上宮記逸文は、継体[26]の祖を「凡牟都和希王」と記したうえで、横に「譽田天皇也」と添える。ホムタは応神[15]のことだが、ホムツワケ(誉津別)は垂仁[11]と狭穂姫のあいだに生まれた皇子のことだ。



継体[26]系図 上記デジタル書籍より転写

倭氏系図は、市磯長尾市の孫世代に都彌自足尼を記す。
市磯長尾市は崇神[10]紀・垂仁[11]紀に記される人物。
国造本紀によれば、都彌自足尼は応神[15]朝に明石国造になっている。

先代旧事本紀 巻第10 国造本紀
明石国造
 軽島豊明朝(応神)御世 大倭直同祖八代足尼 兒都彌自足尼 定賜国造

wikipedia「倭国造 系譜」 2022年4月転写

倭吾子籠は仁徳[16]紀・履中[17]紀に記される人物。
国造本紀によれば、御戈は崇神[10]朝に久比岐国造になっている。

先代旧事本紀 巻第10 国造本紀
久比岐国造
 瑞籬朝(崇神)御世 大和県同祖御戈命 定賜国造

記紀が記す天皇即位の順番は不正確かもしれない。
倭氏系図は、垂仁皇子・誉津別と誉田天皇(応神)が同一人物である可能性を高めるだろう。

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