誉田天皇(応神)と垂仁皇子・誉津別
釈日本紀の上宮記逸文は、継体[26]の祖を「凡牟都和希王」と記したうえで、横に「譽田天皇也」と添える。ホムタは応神[15]のことだが、ホムツワケ(誉津別)は垂仁[11]と狭穂姫のあいだに生まれた皇子のことだ。
国立国会図書館デジタルコレクション 国史大系. 第7巻 釈日本紀巻第十三 第十七 男大迹王。譽田天皇五世孫。彦主人王子也。母曰振姫。:コマ番号354/484
倭氏系図は、市磯長尾市の孫世代に都彌自足尼を記す。
市磯長尾市は崇神[10]紀・垂仁[11]紀に記される人物。
国造本紀によれば、都彌自足尼は応神[15]朝に明石国造になっている。
明石国造
軽島豊明朝(応神)御世 大倭直同祖八代足尼 兒都彌自足尼 定賜国造
倭吾子籠は仁徳[16]紀・履中[17]紀に記される人物。
国造本紀によれば、御戈は崇神[10]朝に久比岐国造になっている。
久比岐国造
瑞籬朝(崇神)御世 大和県同祖御戈命 定賜国造
記紀が記す天皇即位の順番は不正確かもしれない。
倭氏系図は、垂仁皇子・誉津別と誉田天皇(応神)が同一人物である可能性を高めるだろう。
* * *
PR