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筑紫国から見て日の出の方角にある土地が『筑紫日向』
日向国は南九州と長州の2か所。
唐古鍵系瓊瓊杵こと景行[12]は南九州に、纏向系瓊瓊杵こと誉津別は長州に降臨。
神代下第十段(海幸山幸)は、逆だった。
訂正する。
海幸(火闌降)が南九州、山幸(彦火火出見)は長州または筑紫。
神武[1]が出立した日向は長州。
日本書紀で椎根津彦と出会った速吸之門は関門海峡。
志賀島阿曇氏が椎根津彦。
戊午年の夏四月丙申朔甲辰、長髄彦と対戦する逸話から、神武[1]の中の人が変更。
ここまで神武[1]だった長州出身の皇孫は降板して五瀬になる。
新しい神武[1]の中の人は、安芸か吉備出身。
長髄彦は南九州出身の刺領巾。
六月乙未朔丁巳、名草戸畔を誅殺したあとから、神武[1]の中の人が変更。
ここまで神武[1]だった安芸か吉備出身の皇孫は降板して稲飯か三毛入野になる。
新しい神武[1]の中の人は、南九州出身の允恭[19]。