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素人が高志の昔を探ってみる ~神代から古墳時代まで~

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自説再考

当ブログは、素人がネット検索で得た知見を考察して書き綴っている。
ゆえに筆者が新たな知見を得たとき、それまで唱えていた自説を棄てて新しくすることが、ままある。筆者が素人であるゆえに、新たな知見に遭遇する頻度が高いのだから仕方なかろう。

そういうわけで、再考すべき箇所がまた複数見つかったので、一挙放出する。


吉備は独立した在来勢力

神武が吉備国に高嶋宮を建てたという記述から、吉備津彦は九州人ではないかと推測したが、これを改める。

先代旧事本紀 国造本紀

吉備中縣國造
 瑞籬朝御世 神魂命 十世孫明石彦 定賜國造

神魂=神皇産霊。
古事記では、出雲大己貴になにかと便宜を図ってやる神。
神皇産霊が吉備を指すなら、天照の北九州とは切り離して考えるほうがよさそうだ。

綏靖[2]は実在しない

孝霊[7]孝元[8]開化[9]世代が倭国大乱を生きた。
この時代の淡路勢や橿原勢や饒速日勢の戦果を混ぜて、神武[1]はつくられる。
倭国大乱後の神武は、淡路勢の大彦になる。

磯城津彦玉手看の和風諡号を持つ安寧[3]以降の天皇は、磯城氏の男子だろう。
綏靖[2]は、大和の支配権を磯城氏へ移すための役割を果たしている。

綏靖[2]は欠史八代で唯一のエピソードを持つ。
父である神武と共に九州から来た庶兄の手研耳を、実兄の神八井耳と共謀して殺害した。このとき神八井耳は尻込みして手を下せなかったため、代わりに実行した弟の勇気を称えて皇位を譲った。

このエピソードの肝は、淡路勢と久比岐勢を親に持つ皇子が、九州から来た皇子を排除して、皇位を橿原勢(磯城氏)に繋げたことだろう。
しかし、橿原勢が大和の支配権を握っていたか、疑わしく思う。

綏靖[2]は実在せず、神八井耳が畿内を支配した可能性を検討したい。

吉備津彦・丹波道主・武渟川別の派遣は虚偽

各地の有力者を皇子に設定することで、大和の支配領域を広く見せかけた。
吉備津彦は山陽の東側、丹波道主は若狭湾の西側を治める在来勢力と考える。

武渟川別の東海道派遣は、科野洲羽勢が関東の勢力とも交流していたことを反映しているのだろう。北科野は久比岐とも関係が深いので、久比岐勢の血を引く皇子の事跡に偽ったと考える。

崇神[10]紀も倭国大乱を記す

武埴安彦と吾田媛の反乱は、神逐(国見岳の八十梟帥討伐)に相当する。

武埴安彦の反乱を予知する童女の歌を大彦が聞き、
童女の歌の意味を倭迹迹日百襲姫が読み解き、
五十狭芹彦と大彦を派遣して鎮圧した。

神武紀の記述に、丹生川上の神事のとき椎根津彦と弟猾が天香山の土を採取した場所を「埴安」と号するとある。

欠史八代紀は、彦五十狭芹彦は孝霊[7]の子で、亦の名を吉備津彦と記す。

吾田媛は吉備津彦が、武埴安彦は大彦と彦国葺(和珥氏)が討つ。
このとき大彦は「爰以忌瓮 鎭坐於和珥武鐰坂上 則率精兵(ここに忌瓮を以て 和珥武鐰坂上に鎮坐する 則ち精兵を率いる)」とあり、神事を行っている。 これは丹生川上の神事に相当するだろう。

武埴安彦の制圧後に、倭迹迹日百襲姫が大物主の妻となったが、夫婦間にすれ違いがあり、箸が陰部を突く事故で亡くなったと記す。
順番は前後するが、倭迹迹日百襲姫=奴奈川姫=稚日女だ。

以上のことから、武埴安彦=国見岳の八十梟帥=神逐の素戔嗚と推測する。

このあと日本書紀は、崇神を「御肇国天皇」と称える。
続いて記される出雲振根討伐は、出雲国譲りではないかと思う。

出雲国譲りは、神武東征では再戦長髄彦に相当する。
どちらも比喩を多く含み、描写の真実味が乏しい。出雲振根討伐も真実味に乏しいため比較が難しい。それでも、根拠になりそうな点を挙げると、

出雲振根討伐のあと出雲が祭祀をやめてしまったため、勅を下して祭祀を再開させる部分が、出雲国譲り一書第二に記された高皇産霊の条件「當主汝祭祀者 天穗日命(汝を祭祀する当主は 天穂日命)」に相当すると思う。

崇神[10]に実在性を裏付ける事跡は無い

四道将軍は皇族ではない。
武埴安彦=国見岳の八十梟帥=神逐の素戔嗚。
出雲振根=再戦長髄彦=出雲大己貴。

市磯長尾市に倭大國魂を祀らせるエピソードは、垂仁[11]紀にもある。
残る崇神の目ぼしい事跡は、大田田根子を探し出したことのみ。

大田田根子は「父曰大物主大神 母曰活玉依媛 陶津耳之女 亦云 奇日方天日方武茅渟祇之女也」と名乗る。この記述によると大田田根子は、
陶津耳(亦云 奇日方天日方武茅渟祇)の娘の活玉依媛と大物主から生まれた。

祖父の奇日方天日方武茅渟祇は、先代旧事本紀によれば、宇摩志麻遅と共に申食国政大夫に任じられており、大田田根子の身元は明るい。
本人に放浪癖でもない限り、すぐにコンタクトをとれるはずの家柄だ。

先代旧事本紀 天孫本紀(宇摩志麻治)

此日 物部連等祖宇摩志麻治命 與 大神氏祖天日方奇日方命 並拝為申食國政大夫也 其天日方奇日方命者 皇后之兄也 但 申食國政大夫者 今之大連大臣 是也

此日 物部連等祖の宇摩志麻治命 と 大神氏祖の天日方奇日方命 申食國政大夫と為るを並び拝する也 其の天日方奇日方命なる者 皇后の兄也 但 申食國政大夫は 今の大連大臣 是也

崇神[10]は実在した可能性のある最初の天皇と云われるが、疑わしいと思う。

武渟川別の事績も怪しい

御間城姫と神八井耳の姉弟/兄妹によるヒメヒコ制の可能性を考えている。

武渟川別ではなく神八井耳。
崇神[10]の事跡が空っぽなら、その影響で武渟川別の事跡も大部分が怪しくなる。
しかし神武[1]=大彦の嫡子という意味では、神八井耳=武渟川別かもしれない。

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