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椎根津彦の後裔が倭氏を名乗った。
筑前志賀島から出土した金印の印文「漢委奴国王」の委は、倭とする説が主流だ。
金印の印文は「委奴」の二字でイトと読む説もある。
翡翠を採集できた姫川下流はイトイガワ(糸魚川)。
これはこじつけか……
稚日女は天照の妹分らしい。
日本書紀の稚日女には奴奈川姫が当てはまる。
「倭」の字は倭国大乱の勝者に関係すると考えるのが自然だろう。
そして記紀は、出雲大己貴、越前八千矛、大和葦原醜男(?)が大国主だと云う。
大国主は倭国大乱の敗者に関係すると考えるのが自然だろう。
大国主に「倭」の字を使わせるとは思えない。
倭大國魂神は倭国大乱の勝者に関係すると考えるのが自然だろう。
久比岐の神として敬って欲しい。
祟らせたいのでなければ。