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素人が高志の昔を探ってみる ~神代から古墳時代まで~

記紀編纂以前の三輪山は饒速日を祀っていた

八岐大蛇の一書第六()に基づき、三輪山(御諸山)の神は大物主とされている。大物主は出雲の海に忽然と現れ、汝の幸魂奇魂であると大国主に名乗った神だ。記紀神話の神々は自然物を象徴することが多いが、大物主にはそのような性格付けは為されていない。


だが一般に、三輪山には日の出のイメージがあると思う。
下記ページの写真などは正しく万人が胸に抱いている典型的御姿と云えよう。

GAZOO 万葉集でも詠われる「三輪山」の絶景を眺め、古の風景を楽しもう! 奈良県桜井市

ネットを検索したら「唐古・鍵遺跡から見ると、冬至には三輪山から太陽が昇る」と指摘されていたので、地図で確認してみた。冬至の日の出は真東から約30度南にずれる。


三輪山の西側

唐古・鍵遺跡史跡公園 唐古・鍵遺跡史跡公園とは

マップでは、唐古・鍵遺跡のピンが刺さっている位置は、三輪山山頂から北西30度方向のラインより北にずれているが、遺跡の面積は約42万㎡と広い。2021年現在、公園として整備されている10.7万㎡の南西の隅が、どうやらラインを掠めている。 余談だが、その南西の隅が倉庫になっているのはちょっと勿体ない気がする。

ついでに夏至の日の出ラインを引いてみると、大神神社の拝殿のほか、幕末に神武天皇陵墓に比定されたミサンザイがラインに重なる。当ブログはそもそも神武[1]は実在しないとするスタンスなので神武天皇陵ではないと考えるが、この場所にはもしかすると尊い何かはあるのかもしれない。

大物主に日の出のイメージは無いが、三輪山の祭祀は日の出と縁が深いようだ。

大阪平野の太陽神と云えば饒速日だろう。
実際、饒速日=大物主説を提唱なさっている方もおられる。だがしかし、先代旧事本紀の記述と、それに順ずる由緒を掲げる物部神社からは、饒速日は大物主ではないと主張する物部氏の姿勢が見て取れる。(前回記事:尾張氏・倭氏・物部氏は記紀神話に反発していた

これも記紀神話の虚偽ではなかろうか。
饒速日=大物主説は、記紀だけを見れば正しいだろう。でも事実ではないだろう。

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