忍者ブログ
素人が高志の昔を探ってみる ~神代から古墳時代まで~

古代、出雲は高志を見下していた

前回の記事において、倭迹迹日百襲姫のモデルが奴奈川姫である可能性を述べた。
背景には、久比岐が産する翡翠が価値の高い威信財だったこともあるだろうが、出雲を牽制する意図もあったのではないかと思う。

奴奈川姫と八千矛が生きた時代から四・五百年くらいのちに成立した出雲国風土記。
日本書紀(720)よりあとに成立した出雲国風土記(733)には、高志に対する出雲の姿勢がちゃんと表れているようだ。

早稲田大学リポジトリ 『出雲国風土記』の出雲と越 -「天下」の創出-
一方、美保郷条では、「所造天下大神命、娶…略…奴奈宜波比売命而、令産神、御穂湏々美命」となっている。
   ~ 略 ~
『出雲国風土記』は、補助動詞「給」もしくは「坐」により尊敬の意を表すのが通例である。④美保郷条や楯縫郡神名樋山条に補助動詞がないのは不審だが、当風土記の「令」の字からは、敬意を探るよりも、使役の意を見て取った方が妥当と判断される。
   ~ 略 ~
本条を除くと、大穴持命であっても「令」の字で系譜が説明されることはない。ここに至り、奴奈宜波比売命の出自が越とされる点も思い合わす必要が生じるのである。前節で論じた点も考慮に入れて本節をまとめると、越に対する出雲の優位性も、当該条をして大穴持命を上位に据える使役形をとらせた根拠になっていると考えられるのだ。美保郷条の「令産」には、『出雲国風土記』における大穴持命と出雲の位置付けの双方が凝縮されている。
古代、出雲は高志を見下していた。
これは「和を以て貴しとなす」の精神に反する。

奴奈川姫をモデルにした倭迹迹日百襲姫を皇統に加えた意図は、縄文から貴重な威信財を供給してきた久比岐を勢力下に置くことに正当性を持たせることが第一義だろうと思うが、しかし。
久比岐を尊重し、出雲から庇護する目的もあっただろう。

倭迹迹日百襲姫を葬った箸墓は、日中は人が作り夜間は神が作ったと、日本書紀の崇神紀[10]は記す。
乃葬於大市 故時 人号其墓謂箸墓也 是墓者 日也人作 夜也神作 故 運大坂山石而造 則自山至于墓 人民相踵 以手遞傳而運焉 時 人歌之曰
飫朋佐介珥 菟藝廼煩例屢 伊辭務邏塢 多誤辭珥固佐縻 固辭介氐務介茂
乃ち大市に葬る 故時 人は号し其墓を箸墓と謂う 是墓は 日に人が作る 夜に神が作る 故 大坂山の石を運びて造る 則ち山より墓に至る 人民相い踵(つ)ぐ 手を以て遞傳(ていでん、中継して伝え送る)して運ぶ 時 人は歌い之を曰く
大坂(おほさか)に 継(つ)ぎ登(のぼ)れる 石群(いしむら)を たごしに越(こ)さば 越しがてむかも

古代、大和は久比岐へ敬意を払った。
* * *
PR