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襲津彦には葛城の他にも一人、景行[12]皇子の日向襲津彦がいる。
母は日向髪長大田根。日向国の益安神社に祀られている。
宮巡 宮崎県神道青年会 益安神社(ますやすじんじゃ)
景行紀は、日向襲津彦が阿牟君の祖であると記す。
阿牟君を阿武国造(山口県萩市/阿武郡、長門国東部)と同一視できるだろうか?
阿武国造は景行のころ任命された神魂の後裔だ。
カミムスビ(神魂・神皇産霊)を祖とする国造を以下に列記する。
これらの国々に関連性を見出すのは難しく、神皇産霊の正体はわからない。
紀伊/神武[1]、吉備中縣・石見/崇神[10]、阿武/景行[12]、天草・葛津立/成務[13]、大伯・久味/応神[15]、淡道/仁徳[16]
もし日向襲津彦の後裔が葛城襲津彦ならば――
葛城襲津彦の事績は百済と新羅に関係するものが多い。
阿武国(長門国東部)は、葛城襲津彦の足場として魅力的な立地のように思う。
阿武国造である神魂十世孫の味波波命。
これは、景行皇子・日向襲津彦の御母(ミハハ)だったりしないだろうか?
因みに葛城襲津彦の後裔としては穂国造(三河国の一部)が明記されている。
仮説――当ブログでは「妄想のなかで貫かれる理屈」と定義して、表題に仮説と謳うこの記事などは眉に唾して読むことを推奨する。