第六代孝安天皇について改訂
欠史八代はヤマト建国において重要な役割を担った氏族であり、その氏族を表すキーワードが和風諡号に盛り込まれていると推測した。
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欠史八代はヤマト建国において重要な役割を担った氏族であり、その氏族を表すキーワードが和風諡号に盛り込まれていると推測した。
応神[15]=誉津別ならば、父である垂仁[11]の生きた時代は記紀の記述より降る。
記紀編纂時に辿れた皇統の父系の最古が垂仁だったか?
知り得る最古の祖先だから実際より古い時代に偽ったか?
釈日本紀の上宮記逸文は、継体[26]の祖を「凡牟都和希王」と記したうえで、横に「譽田天皇也」と添える。ホムタは応神[15]のことだが、ホムツワケ(誉津別)は垂仁[11]と狭穂姫のあいだに生まれた皇子のことだ。