欠史八代は五代孝昭以降うっすら実在感がある 天香山命あれやこれや 2020年08月11日 神武から数世代を、宮を多く橿原周辺に造営したので橿原勢と呼び、のちに物部氏になる勢力を、祖先神をとって饒速日勢と呼ぶことにする。 この二つが融合した勢力を大和と呼ぶ。 つづきはこちら * * *PR
古代、久比岐は出雲を嫌った 天香山命あれやこれや 2020年08月07日 反論として、高志に大国主を祀る古い神社があること、妙高市に小出雲の地名が残ることを挙げられると思う。しかしこれらは後の時代の痕跡だろう。延喜式が編纂された平安時代中期は、箸墓古墳の築造から600年も経過している。 つづきはこちら * * *
八岐大蛇は出雲が蹂躙した高志の怨霊 天香山命あれやこれや 2020年08月03日 八岐大蛇は川の氾濫を指し、奇稲田姫は水害に脅かされる稲田を指す。 問題は、出雲国を流れる川の化身である八岐大蛇が高志から来たとしている点だ。高志を源流とする川など出雲には流れてないのに何故、高志に関連づけるのか。 つづきはこちら * * *
神代の誓約から国譲りまでは欠史八代と時期が重なる 天香山命あれやこれや 2020年07月30日 日本書紀を読み込むうちに至った結論なので根拠に乏しいのだが、誓約から国譲りまでの神代は、開化[9]以前の日本海側の情勢を表していると考える。 つづきはこちら * * *
出雲は野心的な軍事国だった 天香山命あれやこれや 2020年07月26日 山陰から受けた影響の度合いで高志を分けると、非常に少ない久比岐・能登、限定選択導入の越中・加賀、そして濃い越前になる。高志の西端は越前だが弥生末期には、西隣の若狭と近しい傾向があったようにみえるので越前・若狭をまとめたい。 つづきはこちら * * *