メインカテゴリーの『天香山命あれやこれや』がだいぶ進んだので、ここらで私感を書いておく。
まず最初に、敬称をことごとく削っている点を言い訳したい。
記紀の神々には神・尊・命といった敬称を末尾につけることが望ましいと、実は私も思っている。しかし神であるという概念が、神の振舞いを史実と見做せるか考察する際に邪魔になる。人によっては平気なのかもしれないが私には無理だった。
また、神・尊・命のあいだには序列がある。これも邪魔だ。いずれの神も地域や氏族を表す象徴として平等に考えたい。
このように思い、あえて末尾の敬称は省略した。
次に、出雲への当たりがきつい点について。
率直に言って、出雲はこれまで持てはやされすぎてきたと思う。
大和に侵攻されて可哀そうと言う口で、出雲による高志への侵攻を善しとするダブルスタンダードを辞めれば当然行き着く結論に至っただけだ。
現状これほど出雲がもてはやされるのは明治初期に長州勢がのさばったからかな? と思う。
さすがに最近は聞かれなくなったが、昭和までは長州人による江戸幕府に虐げられたアピールがちょっと面倒くさかった。
長州は毛利元就、久比岐は上杉謙信。どちらも徳川からきつい締め上げを食らった御家柄。米沢に移封された上杉が江戸中期には幕府から高評価を受けるまで挽回した一方で、そうでもなかった様子の毛利。
久比岐ゆかりの上杉が、毛利とは対照的に振舞ったことが、何らかの影響を及ぼしているのかもしれない。
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