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兄磯城(天稚彦)の次なので順番的に、再戦時の長髄彦には出雲勢を推定するが、初戦時の長髄彦は地理的に考えて出雲勢ではないだろう。
初戦(※)で苦戦した神武は、太陽に向かって戦うのは縁起が悪いと言って軍を退かせる。
今我 是日神子孫 而 向日征虜 此逆天道也
今し我 是は日神の子孫 而 日に向かい虜(敵)を征す 此れは天道に逆らう也
太陽の方角には、南北軸であれば南、東西軸であれば一般的に東を想定する。
長髄彦との初戦で日に向かって戦った神武は、北か西から攻撃したことになる。
出雲の北は海だ。
神武は白肩之津に着岸して下船、徒歩で生駒山を越えて戦場の孔舍衞坂に到達したとあり、出雲の北に至るルートを想定するのは難しい。
また、西の九州を出立して山陽に安芸埃宮と吉備高嶋宮を構えたのち近畿に至った設定の神武が、西から出雲を攻める展開はさすがにないと思う。
それに西から出雲を攻めるなら、背後の北九州勢を意識しないわけにいかない。
だが神武東征は、倭国大乱における北九州勢の戦果を不自然なほど記さない。
山陽に進出した際に在来勢力と対立したはずだが、神武は揉めることなく浪速国に到達した。神代紀では誓約に該当する部分で、やはり勝敗を有耶無耶にしている。
北九州勢の影響力を矮小化したい思惑が、日本書紀にはあると思う。
よって初戦時の長髄彦には畿内の勢力を推定する。
長髄彦との初戦では、神武の兄の五瀬命が矢傷を負って亡くなる。このとき矢傷を受けた部位は肘脛だ。
脹脛(ふくらはぎ)が膝下なので、肘脛(ひじはぎ)は前腕だろうか。
徼之於孔舍衞坂 與之會戰 有流矢 中五瀬命肱脛
孔舍衞坂に於ける徼(国境)之 之と会戦する 流矢有り 五瀬命の肱脛(ひじはぎ)に中る
内臓も脳も損傷しない前腕の矢傷が原因で、健康な成人男性が亡くなった。おそらく傷口が汚染され、体内に毒がまわったのだろう。傷口周辺が不衛生だったか、または鏃に毒が塗布されていたか。
後者の場合、畿内では習慣的に鏃に毒を塗っていた可能性がある。
鏃と云えば。
再戦(※)のとき長髄彦軍は、神武の弓に降りた光る金鵄の超常現象に窮した。
淡路島の五斗長垣内遺跡には鉄器を生産した痕跡があり、複数の鉄鏃が出土している。よって金鵄の正体は鉄鏃と推測できるが、しかし問題がある。
日本海側にあって大陸文化に接する機会の多い出雲が、鉄鏃に臆するだろうか?
時 忽然天陰 而 雨氷 乃有金色靈鵄 飛來止于皇弓之弭 其鵄光曄煜狀 如流電 由是 長髄彥軍卒皆迷眩 不復力戰
時 忽然と天が陰る 而 雨が氷る 乃ち金色の霊鵄(金鵄、きんし、金のトビ)有り 飛び来て皇弓の弭(弓の端)に止まる 其の鵄(とび)の光り曄煜(輝く)状(さま)は 流電(稲光)の如し 由是 長髄彦の軍卒は皆が迷眩する 力を復(もど)せず戦う
ただの鉄鏃ならば考えにくい。
だが鉄鏃に毒を塗って殺傷力を上げていたら?
兄磯城討伐を経て、淡路勢が大和勢を従える力関係が成立していたと考えられるため、このときの神武は、淡路勢が大和勢を吸収した存在と考えられる。
大和産の毒を塗った淡路産の鉄鏃が、金鵄の正体かもしれない。