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瀬戸内の潮流について考えてみると、厄介なポイントは鳴門海峡、明石海峡、来島海峡、大畠瀬戸の四つの海峡だろう。明石海峡は、鳴門海峡よりマシということで必ず通らねばなるまい。しかし鳴門、来島、大畠は通らずとも良さそうだ。
せとうち情報局『潮流推算』から取得した画像に地名を書き加えた
屋代島の南、倉橋島の東を通って安芸沿岸を行く航路なら、九州から淡路島までなら潮流4ノット以下で到達できる。ただし、あくまで現代のデータだが。
瀬戸内は埋立てや掘削箇所が多く、現代のデータはそのまま古代に当てはまらないかもしれない。例えば備讃瀬戸は、吉備の穴海(吉備児島の北)を埋め立てて水路を一本潰したのだから、潮流は速くなった可能性が高いだろう。逆に、開削によって遅くなった地点もあるだろう。
瀬戸内は場所によって潮流の速さがまるで違う。
芸予諸島の海域内でも来島海峡と長崎瀬戸の差はあまりに大きい。
大潮 2020/11/03 毎時潮流(長崎瀬戸 +:南東流 -:北西流)
大潮 2020/11/03 毎時潮流(来島海峡 +:南流 -:北流)
第六管区海上保安本部 せとうち情報局 潮流推算 ボタン『グラフ表示』
ちなみに。
鳴門海峡は波形がおかしい。さすが鳴門。
第五管区海上保安本部 海洋情報部 鳴門海峡潮流情報
瀬戸内航路の最大のネックが淡路島なのだろう。
日本書紀の国生み本伝において、最初に生まれた淡路島が「意所不快」とされる理由は、海運において避けられない難所だからかもしれない。
及至産時 先以淡路洲爲胞 意所不快 故 名之曰淡路洲
産む時に至るに及び 先ず淡路洲を以て胞(えな、胎児をおおう膜)と為す 意に不快なる所 故 名は之に曰く淡路洲
誓約の五男神を瀬戸内航路の寄港地と想定するなら、この航路は天岩戸日食と想定した158年以前に開かれていたことになる。
そして、淡路島の五斗長垣内遺跡は2世紀頃の鉄器生産遺跡だ。
淡路島日本遺産 五斗長垣内遺跡
月刊 神戸っ子 五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡と舟木遺跡
誓約の五男神が瀬戸内の寄港地ならば、淡路島の五斗長垣内遺跡および舟木遺跡は、九州勢が入植して造営したことになるだろう。