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ヤマトのはじめに尊ばれた3氏族は、穂積氏と磯城氏と葛城氏。
1.紀元前4・3世紀ごろ、唐古鍵に集落ができる(穂積氏)
2.淡路国・摂津国・紀伊国に、月読なる人々が入植
3.紀元3世紀初め、対馬海峡方面から入植した磯城氏が纏向を造成、翡翠産地(信越)から葛城氏を招聘する
4.3世紀中・後期、唐古鍵と纏向の双方向で婚姻を結ぶ
5.婚姻政策の結果、事代主と建御名方(瀛津世襲)が生まれる
纏向造成当初(2世紀後期・3世紀前期)の唐古鍵と纏向は対立したが、天穂日(安寧[3])と天稚彦(懿徳[4])の時代(3世紀中・後期)には関係改善に努めた。
唐古鍵は天照、纏向は素戔嗚
信越勢は高皇産霊、対馬海峡勢は神皇産霊
穂積氏は饒速日(宇摩志麻治)、葛城氏は天火明(天香山)
唐古鍵(穂積氏)の奈良盆地における権威が弱まった事件が、本伝の国譲り
信越勢(葛城氏)の奈良盆地における権威が弱まった事件が、書一の国譲り
対馬海峡勢(磯城氏)の奈良盆地における権威が弱まった事件が、書二の国譲り
ここまでは概ね従来の自説に沿う。
変更点は、国譲りを敢行した天照なり高皇産霊なりが、月読なる人々であること。
星神香香背男討伐に加勢した倭文氏は大阪平野(摂津国)が地盤と思われる。
孝元(磯城氏)に代わって奈良盆地に入った第十代纏向大王の母親は、阿波国ゆかりの伊香色謎である。
倭文氏・淡路国造・紀伊国造は神皇産霊の子孫なので、ルーツは北九州。
淡路島の五斗長垣内遺跡は朝鮮半島から鉄を仕入れている。潮流の激しい瀬戸内を渡るために、月の朔望を読む彼らが月読である。
古事記の月読が大宜都比売を殺める逸話は、和歌山平野(紀伊国)が対岸の徳島平野(阿波国)を侵略した物語だ。このあと葛城氏の分家である伊香色謎の一族が阿波国に入植した。
月読なる人々に囲われた葛城氏の分家が和珥氏だ。
和珥武振熊に討伐された両面宿儺は、越中国から飛騨国にかけて勢力を保持していた瀛津世襲に連なる人々(葛城氏近縁)である。
■ 月読なる人々が高皇産霊に成り代わる理屈。
本来の高皇産霊は翡翠産地の信越勢であり、纏向を造成した磯城氏に招聘されて奈良盆地へ移住した一族が葛城氏である。
よって見方によれば「葛城氏は高皇産霊」であり、別の見方では「葛城氏は素戔嗚(纏向)に包含される」といえる。
4世紀、月読なる人々は葛城氏を攻撃する。香香背男討伐、阿彦討伐、両面宿儺討伐、甘美内足尼排斥などが攻撃の成果だ。
月読なる人々の行動は、紀伊国が囲っている豊玉姫の子孫を推戴して葛城氏の嫡流に成り代わろうとしたものだ。豊玉姫は葛城氏のヒメである。
紀伊国の野望は4世紀後期頃、磯城氏(孝元[8])の国譲り(書二)で成就する。
これにより、紀伊国は完全に素戔嗚に成り代わる。
記紀神話では、遡って葛木彦こと瀛津世襲を排斥した逸話(逐降)の次の逸話(八岐大蛇退治)から、月読なる人々を素戔嗚として記す。
そして、本来の葛城氏のルーツである信越地方は高皇産霊なので、記紀神話は八岐大蛇退治よりまえの紀伊勢を高皇産霊と記した。
■ 月読なる人々が天照に成り代わる理屈
天岩戸隠れの原型になった逸話は、阿波国で観測した158年の日入帯食を擬人化したローカルな民話だ。純粋な太陽神が、記紀神話に転用されて皇祖神にされた。
記紀神話において、岩戸に隠れた天照は唐古鍵のことだが、天岩戸から出てきた天照は大綜杵の女である伊香色謎のことだ。
伊香色謎の母親である高屋阿波良姫は阿波国の女性と思われる。
記紀神話の天岩戸隠れは、天照(唐古鍵)が姿を消して昼が消え、常闇になったと記す。月は暗い空で輝く。
唐古鍵と纏向が衰退して、月読なる人々が猛威を振るった。
伊香色謎は阿波国出身であり、父親の大綜杵は大矢口宿祢(穂積氏祖)の子だ。
穂積氏は唐古鍵の有力氏族であるため、伊香色謎とその子(開化[9])を天照の再来に位置づけている。
ただし伊香色謎と開化[9]を推戴したのは月読なる人々である紀伊勢だ。第七段(天岩戸隠れ)書三は紀伊国と阿波国の良好な関係を記す。
天香山は葛城氏のことだ。
葛城氏は翡翠産地の豪族であり、翡翠は交易で鉄などの貴重品に替えられた。
鹿は丹波勢のトーテムだ。
丹波勢とは、3世紀末期に丹波へ移住した唐古鍵の人々のことだ。
日前神は紀伊国造家が奉斎する紀伊国一宮日前神宮のご神体(日像鏡・日矛鏡)だ。
伝承では、石凝姥が八咫鏡に先立って天照の姿を写しとり造ったとする。
以上を踏まえて、書一の逸話を読み解けば、
葛城氏の嫡流と唐古鍵の本流を犠牲にして、本来は月読である紀伊国が台頭した。
そして紀伊国台頭の勢いに乗じて、阿波国出身の人物を第二の天照に据えた。
となる。
■ なりすましの影響
天照を奪われた穂積氏は饒速日(宇摩志麻治)になる。
高皇産霊を奪われた葛城氏は天火明(天香山)になる。
素戔嗚を奪われた磯城氏のルーツである対馬海峡勢と、葛城氏のルーツである信越勢は海神(綿津見)になる。
関連して、事代主について。
日本書紀神代下第九段(国譲り)本伝の事代主は、海中に蒼柴籬をつくる。
籬(まがき)は竹や柴でできた垣根のこと。
垣根は屋敷や領地などの外周に設置して、土地の所有区域を明らかにする。
事代主は日本海を自分の領域にした。
これは、事代主が海神(綿津見)になったことを意味する。
唐古鍵と纏向が衰退(3世紀おわり~4世紀はじめ)して以降も存続できた氏族が事代主であり、海神族だ。命運を絶たれた者(瀛津世襲を含む)が建御名方だ。
つまり海神族は事代主の成れの果てであり、磯城氏や葛城氏の生き残りである。
また丹後の海部氏は、丹波へ移住した唐古鍵の本流の生き残りである。
■ 紀伊国の敵 吉備国
神武紀は、紀伊国の名草戸畔を討伐したと記す。
名草戸畔は第4の元伊勢である紀伊国の奈久佐浜宮にいたヒメ(巫女)だろう。
書二の大己貴である孝元[8](磯城氏)を追い払い、第3の元伊勢の倭国の伊豆加志本宮から地位を奪った。
第5の元伊勢が吉備国名方浜宮だから、木乃国奈久佐浜宮を潰したのは吉備国だ。
神武紀にて吉備国は、神武の兄の五瀬として描かれる。
吉備が雄略紀にて分割され、清寧紀に記す星川皇子の乱にて攻撃されたことを、五瀬が負った深手に例えている。
■ まとめ
月読であるはずの紀伊国やその属国の阿波国が、天照や素戔嗚や高皇産霊になりすますせいで記紀神話は難解になっている。
しかし日本書紀編纂者にはなりすましをよく思わない人物もいた。
月読のなりすましと思われる天照や高皇産霊は、逸話内のどこかで「天神」と表記されている。おそらく故意に区別したのだろう。
また紀伊国一宮伊太祁曽神社の祭神は、第八段書四と書五にて素戔嗚の息子と記される五十猛であり、素戔嗚ではない。記紀成立後の忌部氏の凋落ぶりとあわせて考えるに、他氏族から相当の反発があったのだろう。