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弥生中期以降、科野洲羽勢が広範な地域と交流していたことが、発掘された考古資料から推測されている。相模国三浦半島など、東京湾岸まで及んでいたようだ。
小松市 フォーラム、シンポジウム等の資料ダウンロード フォーラム小松式土器の時代2「小松発・北陸新幹線ルートの弥生文化を探る」資料集[PDF] 第 12 図 変質輝緑岩製 ( 榎田型 ) 磨製石斧と栗林2式新段階の分布 :60/79ページ
世の常として、交流は必ずしも友好関係を築けるとは限らない。
出雲国譲りとは一切関係ない理由で、場所で、時期に、科野洲羽勢(建御名方)と鹿島勢(武甕雷)は敵対したのかもしれない。
武御雷は、春日大社に勧請されたことから、藤原氏に贔屓されたと思われる。
何でもかんでも藤原氏を悪者扱いする風潮は好きではないが、考えてしまう。
古事記の嘘は、藤原氏が贔屓する武甕雷を勝者側で登場させることが目的では?
そのためには、倭国大乱の勝者側である久比岐勢に属する建御名方を、敗者側に偽装しなければならない。だから出雲大国主の子として登場させたのでは?
そして偽りの父子設定を補強するために、奴奈川姫と婚姻関係にあった越前八千矛を、出雲大己貴と同一人物にしたのでは?
だが日本書紀に照らし合わせると、越前八千矛は神逐の素戔嗚に、奴奈川姫は稚日女に当てはまる。久比岐の伝承は、奴奈川姫は八千矛との不本意な結婚から逃げて自死したと伝える。
加えて、出雲国風土記は建御名方を大国主の子に含めない。
建御名方を出雲大国主の子とする古事記の嘘には、記紀編纂当時の出雲も反発したのではなかろうか。
久比岐も出雲も、建御名方に出雲大己貴の血は流れてないと主張したとして。
日本書紀の編者がその主張の正当性を認めたとして。
それでも藤原氏が、建御雷を勝者側で登場させることを要求したとして。
日本書紀 国譲り 本伝(※)
是後 高皇産靈尊 更會諸神 選當遣於葦原中國者 曰 磐裂 磐裂 此云以簸娑窶 根裂神之子磐筒男磐筒女所生之子經津 經津 此云賦都 主神 是將佳也 時 有天石窟所住神 稜威雄走神之子甕速日神 甕速日神之子熯速日神 熯速日神之子武甕槌神 此神進曰 豈唯經津主神獨爲丈夫而吾非丈夫者哉 其辭氣慷慨 故 以即配經津主神 令平葦原中國
是後 高皇産霊尊 更に諸神を会する 当に葦原中国へ遣わさん者を選ぶ 曰く 磐裂 磐裂 此れ云う以簸娑窶 根裂神の子の磐筒男磐筒女が所生す之子の経津 経津 此れ云う賦都 主神 是は将に佳(すぐ)れる也 時 天石窟の所住む神 稜威雄走神の子の甕速日神 甕速日神の子の熯速日神 熯速日神の子の武甕槌神 此の神が進み曰く 豈(あに)唯だ経津主神独りを丈夫と為して吾は丈夫に非ざる者哉 其の辭氣(じき、言いぶり)は慷慨(こうがい、激しく憤る) 故 以て即ち経津主神に配する 葦原中国を平らげ令(し)める
藤原氏の強引さが、この建御雷の出しゃばり具合に反映されたのでは?
という気がしてならない。
そして、出雲が他所の神々を節操なく大国主の子に設定する背景には、この古事記の嘘がまかり通るなら構わないだろうという虚栄心と、嘘を大きくして嘘とバレるようにしてやろうという反抗心があったのかもしれない。
少なくとも味耜高彦根に関しては、大和も敗者だと言いたいのではなかろうか。
出雲とて乱世を生き残るために戦っただけだろう。
なのにラスボスのように扱われるのは不満だったのでは?