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『自説の骨子』を書き直したわけだけども。
「淡路」と書くべきところを「出雲」と書いていたミスを今しがた見つけて、超絶びびった。よりによってココを間違えるかという大ポカ。即行修正した。
『自説の骨子』を改稿した。
今後しばらくは過去記事の改稿をアップする予定。
当ブログは、素人がネット検索で得た知見を考察して書き綴っている。
ゆえに筆者が新たな知見を得たとき、それまで唱えていた自説を棄てて新しくすることが、ままある。筆者が素人であるゆえに、新たな知見に遭遇する頻度が高いのだから仕方なかろう。
そういうわけで、再考すべき箇所がまた複数見つかったので、一挙放出する。
椎根津彦の後裔が倭氏を名乗った。
筑前志賀島から出土した金印の印文「漢委奴国王」の委は、倭とする説が主流だ。
なにか見えてくるのではと思い、先代旧事本紀の国造本紀から神武[1]と崇神[10]の頃に定められた国造をピックアップしてみた。