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なにか見えてくるのではと思い、先代旧事本紀の国造本紀から神武[1]と崇神[10]の頃に定められた国造をピックアップしてみた。
新潟から出土した遺物には、山陰から直接影響を受けた様子がない。
久比岐と出雲の関わりはごく浅いものだった。
この見解を発端に、日本書紀が描く倭国大乱を読み解いてきた。
弥生中期以降、科野洲羽勢が広範な地域と交流していたことが、発掘された考古資料から推測されている。相模国三浦半島など、東京湾岸まで及んでいたようだ。