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素人が高志の昔を探ってみる ~神代から古墳時代まで~

日本書紀の神武東征を誤読させる原因

倭国大乱について、日本書紀は思いの外きっちり書いている。
丹生川上の神事の意味さえ読み取れれば、大和が負けたと読めるのだから。


国譲りの切っ掛けが、横暴とも思える高皇産霊や天照の思いつきである点にも、負けた側の被害者意識が垣間見えているのではなかろうか。
存外、だだ漏れである。

国譲り 本伝(

天照大神之子 正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊 娶高皇産靈尊之女幡千千姬 生天津彥彥火瓊瓊杵尊 故 皇祖高皇産靈尊 特鍾憐愛 以崇養焉 遂欲立皇孫天津彥彥火瓊瓊杵尊 以爲葦原中國之主

天照大神の子 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 高皇産霊尊の娘の幡千千姫を娶る 天津彦彦火瓊瓊杵尊を生む 故 皇祖の高皇産霊尊 特に憐愛(れんあい)を鍾(あつ)める 以て崇(たっと)び養う焉 遂に皇孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てるを欲する 以て葦原中国の主と為す

国譲り 一書第一(

天照大神 勅天稚彥曰 豐葦原中國 是吾兒可王之地也

天照大神 天稚彦に勅し曰く 豊葦原中国 是は吾が兒が王たる可き之地也

神武東征の正しい読み取りを阻害してきた要因は、おそらく3つある。
一つ、久比岐(糸魚川)が翡翠の産地であることを忘れた。
一つ、淡路島に先進的な製鉄施設が存在したことを忘れた。
一つ、古事記の嘘に振り回された。

最後の一つは今後も障壁になるだろう。
古事記は工夫を凝らして出雲を実体より大きく見せている。しかし日本書紀が示す古代出雲の姿は、立派な山陰の雄には違いないが、それ以上ではない。

日本書紀には、
「倭国大乱の勝者は北九州・淡路・久比岐、敗者は出雲・大和・越前」
と、書いてある。

大和は磯城氏であり、越前からはのちに継体[26]が出る。
敗者だった大和と越前が皇統に繋がっていく。
出雲だけが皇統に繋がらなかった。

大乱後の出雲は北九州側に組み込まれたから、近畿の王家と深く関わらなかったのだろう。
出雲花仙山で産出された碧玉が、倭国大乱終結後に山陰以西で流通して、東にはあまり普及しなかった様子から、戦後は北九州勢が出雲を掌握したと考える(過去記事:倭国大乱後、出雲は九州に平伏した)。

大和と越前は、淡路勢と久比岐勢の管轄だったのだろう。
接触が無ければ皇統に繋がるはずがない。当然のことだ。
ところが、昔の出雲人はこの事態を殊更深刻に受けとめたようだ。

古事記やら出雲神話やら、江戸時代中期以降に倭大國魂に背乗りしたことやら、出雲が嘘を重ね、高志や大和の神を大国主の子に設定する虚偽のプロパガンダを吹聴する背景には、出雲だけが勝者を見返せなかったコンプレックスがあるのでは?(過去記事:倭大國魂は翡翠を象徴する久比岐の神

初期皇統の母系氏族である久比岐はとりわけ執拗に狙われている。

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