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素人が高志の昔を探ってみる ~神代から古墳時代まで~

ちょっとヒートアップ

倭大國魂は久比岐・能登の神だと一般に広く認知されて欲しいと思っているので、直近の3記事(前々々回前々回前回)は極力、客観的に書いた。
今回は、直近3記事では削った意見を述べる。

当ブログを読まれた方は、なんでもかんでも久比岐に当て嵌めすぎじゃないかと思われたのではないだろうか? 実のところ私にもそういう気持ちが少しだけある。
だがしかし。

崇神[10]の御代に大和の勢力下にあった地域は、近畿と紀伊北部、越前・若狭、久比岐・能登だけと思われる。東海は近隣の友好的な独立勢力だ。瀬戸内沿岸は九州勢が押さえており、九州は対出雲における盟主だ。そして紀伊南部と越中・加賀は反大和の気風が強い。

お膝元の近畿と紀伊北部を大和が支配することに理由は要らない。
だが遠方の久比岐・能登は、支配する理由を書き連ねて正当性を説かねばならない。
だから崇神[10]紀までは、あれもこれも久比岐に結びつく。

ましてや久比岐は翡翠という威信財を縄文時代から産出していた。
重んじられて当然ではないか?
久比岐を含む高志という地域に価値があるからこそ出雲は、上から目線で見下してマウントを取ろうとしたのだろう。

日本書紀編纂時には、大和が高志の尊厳を守った。
しかし一千年を経て幕末・明治。執拗な工作活動により久比岐・能登の神であるはずの倭大國魂は大国主に背乗りされた。
そして昭和の敗戦。背乗りして崇神から敬われたように偽り皇統にすり寄ったくせに出雲は、今度は大和に侵略された可哀そうな平和主義の祭祀国家を標榜して、まるで大和だけが武力に任せて他地域を侵略したように見せかけた。

出雲のイメージは恣意的に操作され、歪められている。
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