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釈日本紀の上宮記逸文は、継体[26]の祖を「凡牟都和希王」と記したうえで、横に「譽田天皇也」と添える。ホムタは応神[15]のことだが、ホムツワケ(誉津別)は垂仁[11]と狭穂姫のあいだに生まれた皇子のことだ。
当ブログの『建国神話を読む』シリーズをしっかり読んでくださらない方々は意外に思われるだろうが、現在、ブログ筆者である比佐安田に出雲大社(杵築大社)を批判する意図は一切ない。
仁徳[16]紀をじっくり読んで、また別の可能性に思い至ったので「建国神話終章 反九州の気運」の「海幸山幸」の項を改稿する。