仲哀[14]は簒奪者
記紀は仲哀[14]を、日本武と両道入姫命(垂仁[11]皇女)の子で、成務[13]の甥と記すが、誕生年の問題が指摘されている。
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記紀は仲哀[14]を、日本武と両道入姫命(垂仁[11]皇女)の子で、成務[13]の甥と記すが、誕生年の問題が指摘されている。
科野安曇氏から越前八千矛が奪った草薙剱は天照へ献上されることなく、子の丹波大己貴に受け継がれ、垂仁の御代に丹波の大若子がこれを用いて、越中の狭穂彦・狭穂姫を討ったと、当ブログは考える。
久比岐の伝承によれば、奴奈川姫の前夫は松本の豪族だという。
松本市の北に隣接する安曇野市に、穂高見と綿津見を祀る穂高神社がある。両市を流れる犀川は長野盆地へ抜けて千曲川(信濃川)に合流する。信濃川を下れば越後平野が広がり、天香山を祀る弥彦神社のご神体である弥彦山がある。