自説変更:再戦時の長髄彦=伊勢津彦配下
3/6に「再戦時の長髄彦=国譲りの大国主」という記事を書いたが、取り消す。
たびたび出雲贔屓を非難してきたくせに、その影響下から私もまだ抜け出せていなかった。既成概念を払拭することは斯くも難しい。
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3/6に「再戦時の長髄彦=国譲りの大国主」という記事を書いたが、取り消す。
たびたび出雲贔屓を非難してきたくせに、その影響下から私もまだ抜け出せていなかった。既成概念を払拭することは斯くも難しい。
磐長姫が「其生兒 必如木花之移落(其の生す兒 必ず木花の移ろい落ちるが如し)」と呪った(※)はずだが、初期天皇には長寿が多い。
仁徳[14]が最後の長寿天皇で、wikipediaによれば110才で崩じたという。
記紀は仲哀[14]を、日本武と両道入姫命(垂仁[11]皇女)の子で、成務[13]の甥と記すが、誕生年の問題が指摘されている。