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名草戸畔・丹敷戸畔・兄猾を討伐した神武とは、大和の在来勢力(橿原勢か饒速日勢)だろうと、当ブログは考える。
丹生川上の祭祀からは淡路勢が神武になり、橿原勢は弟磯城に、饒速日勢は兄磯城になる。そして畿内を纏めかけていた兄磯城を討伐した淡路勢が、鳶が油揚げを攫うように近畿で君臨した。
高皇産霊を憑依させた神武が淡路勢であり、椎根津彦が久比岐海人族の青海氏であるなら、大和の兄磯城を挟撃したという神武東征の記述(※)は、地理的に整合性が取れている。
高倉山の物見により認識した敵(国見岳・墨坂・兄磯城)を討伐した神武の正体は淡路勢だろう。
当ブログは、神武東征の国見岳以降は神代の神逐から国譲りに相当すると考える。