尾張氏・倭氏・物部氏は記紀神話に反発していた
神代の誓約から国譲りまでは倭国大乱を記したものであると、当ブログは推測する。
そして神武東征も、倭国大乱の要素を重ねているのではないかと思う。
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神代の誓約から国譲りまでは倭国大乱を記したものであると、当ブログは推測する。
そして神武東征も、倭国大乱の要素を重ねているのではないかと思う。
対馬周辺を地図で眺めると、対馬は朝鮮半島との中継点として天照勢(北九州)も利用したはずと思う。よって対馬=素戔嗚勢とは云えないのだろう。対馬には天照と素戔嗚の二勢力が存在していた、あるいは中立勢力だったと見るべきかもしれない。
天岩戸と神逐の段(※)の本伝と一書第三は、天岩戸から天照を引き出したのちに『諸神』が素戔嗚を追い払う。一書第二は天岩戸から天照を引き出したときには既に『諸神』が素戔嗚を追い払っていた。
古事記は、天岩戸から天照を引き出したのち『八百万の神』が須佐之男を追い払う。