建国神話余話 洲羽神話のモリヤ
洲羽の伝承では、建御名方が地元の神である洩矢(守屋大臣)を打ち負かして入植したという。この伝承の元になる史実として、ふたつの可能性が考えられるだろう。
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洲羽の伝承では、建御名方が地元の神である洩矢(守屋大臣)を打ち負かして入植したという。この伝承の元になる史実として、ふたつの可能性が考えられるだろう。
前回の要点:
狭穂彦=阿彦、狭穂姫=支那夜叉、誉津別=支那太郎、高倉下嫡流=天津甕星。
草薙剱は越前素戔嗚から子孫の丹波大己貴へ渡り、阿彦討伐に使われた。
同じ頃、科野と関東が争い、饒速日勢が科野を援けて関東勢を退けた。しかし記紀はなぜか八綱田(関東勢)が狭穂彦を討伐したと記して、丹波の勝利を横取りしている。
伊弥頭(越中西部)・三国・江沼(越前)国造は蘇我氏であり、上宮記は凡牟都和希王が継体[26]の祖と記す。
前回の要点:
丹波では協調派と対立派で意見が割れていた。
九州から来た武振熊が仲哀庶子の忍熊王を討伐して以降、丹波は衰退する。九州は翡翠産地に入り込んだ丹波の血筋も排除した。これが両面宿儺であり、椎根津彦嫡流の久比岐青海氏は消失する。この抗争の敗者が大物主であり、祭主の三輪氏は久比岐青海氏の流れを汲む。
崇神は個人としても勢力としても実在しない。
中臣氏案件の「天兒屋」「武甕槌」「豊城入彦・八綱田・御諸別」は敵対勢力。
越中西部の首長が観松彦・観松姫であり、事代主後裔にあたる。御間城姫は大彦と越中西部の女性のあいだの子で、観松姫であり、綏靖[2]皇后の五十鈴依媛でもある。