建国神話第十章 天津甕星と狭穂彦と越中阿彦
前回の要点:
丹波では協調派と対立派で意見が割れていた。
九州から来た武振熊が仲哀庶子の忍熊王を討伐して以降、丹波は衰退する。九州は翡翠産地に入り込んだ丹波の血筋も排除した。これが両面宿儺であり、椎根津彦嫡流の久比岐青海氏は消失する。この抗争の敗者が大物主であり、祭主の三輪氏は久比岐青海氏の流れを汲む。
崇神は個人としても勢力としても実在しない。
中臣氏案件の「天兒屋」「武甕槌」「豊城入彦・八綱田・御諸別」は敵対勢力。
越中西部の首長が観松彦・観松姫であり、事代主後裔にあたる。御間城姫は大彦と越中西部の女性のあいだの子で、観松姫であり、綏靖[2]皇后の五十鈴依媛でもある。